日本での目の回るような日々を離れ、
降り立ったのは中国のかなりの田舎な町でした。
そこには、日本の常識はもちろん、
SNSで見るキラキラした駐妻生活も1ミリも存在しない、
圧倒されるほどのエネルギーに満ちた世界が
広がっていました。
降り立ったのは、雑多さと近未来がバグを起こした街。
まず圧倒されたのは、「音」と「距離感」でした。
夏の街を歩けば、上半身裸のおじさんが闊歩してる。
歩きタバコは当たり前で、
誰かが常にスピーカーで動画を大音量で流している。
歩道には電動バイクが突っ込んできて、
邪魔だと言わんばかりにクラクションを鳴らされる。
お店で並んでいても声が大きい人が優先。
電車やバスの座席は許容人数以上が着席。
パーソナルスペースなんて言葉はどこにもありません。
朝晩の公園や広場には、
体操や太極拳、ダンスに励む人々が集まり、
活気に満ちた光景が広がっていました。
その一方で、
驚くほど合理的でハイテクな一面もありました。
1年半、私は一度も現金を使いませんでした。
目にする機会すらなかったのです。
スマホ一つあれば、重い荷物も30分で届き、
気に入らなければアプリを通した申請で
家まで商品を取りに来て返品手続きをしてくれる。
そのスピード感と便利さは、
もはや「スマホがなければ生きていけない」という、
一種の生存条件のようでした。
ハイテクな便利さと、野生的なカオス。
その矛盾の中に身を投じることが、
私の1年半の駐在同行生活の始まりでした。
何者でもない自分への焦り
同行して最初の1、2ヶ月。
仕事からの解放感に浸っていました。
ノートに思いを綴り、
映画を観て、手芸や読書に没頭する。
誰にも邪魔されない自由な時間。
好きなことだけしていたとしても
ぼーっと過ごしていたとしても
誰一人私を責めないその自由が、
気付かないうちにじわじわと
私を追い詰めていってました。
「私は、ここで何をしているんだろう」
家事をして、ご飯を作って、夫の帰りを待つだけの毎日。
かつて仕事で得ていた
達成感や自己効力感はどこにもありません。
日本人コミュニティも、同じ境遇の仲間もいない。
孤独の中、自分の存在価値が
どんどん削られていくような感覚が襲ってきていました。
その不安は、
どこにも発散できない真っ黒な「モヤモヤ」となって、
私の中で日に日に膨れ上がっていきました。
そのモヤモヤを感情に任せて
一番近くにいる夫へ
「あなたのせいでこうなった」
という心ない言葉として
ぶつけてしまったこともありました。
恩人との絆とその距離感
孤独だった私を、
本当の妹のように大切にしてくれたのが
日本料理店を営む双子の中国人姉妹でした。
彼女たちの存在がなければ、
中国生活を楽しむことさえできなかったと思います。
生活に必要な情報を惜しみなく伝えてくれ、
いろんなところに連れて行ってくれ、
美味しい料理もご馳走してくれました。
彼女たちを通して現地の友人も増えました。
中国生活の命綱であるスマホが壊れれば
店まで付き添ってくれ、
店員さんにディスカウントまでお願いしてくれ、
ザ・中国人!を見せてくれました笑
しかし、中国人特有なのか、
「一歩懐に入れば、家族同然に尽くす」という熱量は、
時に私にとって重荷にもなっていました。
彼女たちにとって私は「暇な人」であり、
毎日11時頃から夕方まで拘束される。
生理周期や家族計画にまで容赦なく踏み込まれる。
「彼女たち以外に世界がない」という閉塞感に、
私は仕事帰りの夫より疲弊するようになっていました。
自分の足で、自分の居場所を。
「誰かの力を借りずに、自分の居場所を作りたい」
その一心で、私は新たなコミュニティを探し始めました。
せっかくなら中国ならではの習い事をしてみたら良いかも
と、中国茶や合気道、太極拳等、
様々な切り口で検索をしました。
そうして見つけたのが、古典舞踊の教室。
自らテキストメールを送って問い合わせ、
中国語は初心者クラスだとお伝えした上で
クラスに飛び込むことにしました。
そこは完全なるスパルタの世界。
先生が私の体に全体重を乗せてくる地獄のストレッチに、悲鳴を上げつつも必死に縋りつきました。
言葉は完璧には通じないけれど、
鏡の前で必死に体を動かす時間は、
何にも代えがたい
自分が選んだ自分だけの時間でした。
一つ動き出すと、
自分に自信がついてきたのか、
いろんなことに前向きに挑戦ができるようになりました。
夫の会社のテニス部に参加したり、
現地の大学生と言語交換を始めてみたり
自分の足で街のカフェを開拓する。
そして、たまたまネットで見つけた
駐在員パートナーを支援する団体にも参加してみました。
そこでは、私と同じように孤独や葛藤を抱えながら、
それでも自分の人生を諦めない仲間たちに出会えました。
「今後、私はどうありたいか」
という人生に対する問いに向き合い、
その団体を通していろんな経験をしたことで
眠っていたキャリアに対する思いや
自分を認めるきっかけになりました。
このように自力で一歩ずつ世界を広げていく中で、
夫の会社の方々などからは
「奥様、すっかり馴染んでるね!楽しそう」
と言われることが増えました。
その言葉は嬉しい反面
どこかでモヤっとしている自分もいました。
「私のこの頑張りを認めてほしい。
でも、簡単に『楽しそう』の一言で理解されたくない」
そんな矛盾したプライドが胸の中で渦巻いていました。
この笑顔の裏にある、孤独も、勇気も、
苦しみながら踏み出した一歩も、私だけのもの。
安易に共感されたくないと思うほど、
私は必死に、自分の人生を戦っていたのだと思います。
夫婦から戦友になった夫との時間
夫とは多くの国内旅行に出かけました。
ガイドブックにも載っていないような場所へ、
自分たちで中国語の情報を必死にかき集めて辿り着く。
そこで出会う料理や人、文化は、
私たちにとって大きな刺激でした。
そして何より大切だったのが、毎晩の散歩の時間です。
二人で夜の中国を歩く。
今日あったこと、考えていること、これからのこと。
ひたすら話し、考えを擦り合わせるその時間は、
お互いをより理解する鍵になったと思います。
彼は私の思いを汲んで、
現地で世界を広げるために環境を必死に整え、
私の葛藤を根気強く受け止めてくれていました。
私たちはこの期間を通して
単なる「夫婦」を超えた「戦友」に
なれたのではないかと思っています。
Naru.

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