「今どうしたいか」で選んだ、キャリア中断と中国同行生活

帯同生活と私の心

幸せの絶頂に舞い降りた「辞令」

夫から、中国駐在の話を聞いたのは、
結婚式の余韻も冷めやらぬ、幸せの絶頂にいた時のこと。

一年前にも、短期間の駐在を経験していた彼から、
「次、声が掛かるとしたら、長期になると思う」
とは聞かされていた。

その時の私は
「もしそうなったら次は私も一緒に行くね〜」なんて、
どこか他人事のように軽く返していた。

けれど、実際にその話を聞いた時には、
「え、その話、本当だったんだ…」 という、
戸惑いが強くあったと思う。

理想の生活と、突きつけられた現実

やっと始まった彼との穏やかな新婚生活。
二人でこだわり抜いて選んだインテリアに囲まれ、
結婚式という大きな節目を共に迎えたばかり。
そんな多幸感の中にいた私に、
あまりにも現実的で重い選択肢がのしかかった。

「どうしよう…」

頭の中を駆け巡ったのは、
夫と一緒にいたいという純粋な気持ちと、
それに伴う代償への不安だった。

私の仕事は、キャリアは、どうなるの?

両親や会社に何て言われるんだろう。

授かりたいと思っている「子供」の計画は?

当時の私は、敏腕上司のもとで、
ハードながらもようやく仕事のやり方が掴めてきた時期。
終電に間に合うよう、オフィスをダッシュで飛び出し、
真っ暗な部屋に帰って寝るだけの日々。

せっかくこだわって作った二人のお家は、
私にとってはただの「寝床」。
仕事の悩みや自分の不甲斐なさに押し潰されそうで、
数少ない睡眠時間ですら、
悩みによる動悸で眠れない夜も。

今振り返れば「あの時間が私を成長させた」
と思えるけれど、当時の私にとっては、
そんな綺麗な言葉で片付けられるものではなかった。

ただただ、必死。
余裕なんて1ミリもなくて、
毎日を生き延びるだけで精一杯だった。

背中を押してくれた夫の言葉

そんな私のボロボロな様子を一番近くで見ていた夫は、
こう言ってくれました。

「一回仕事から離れてみるのもいいかもしれない。
 一緒に来てくれたら嬉しい」

その言葉は、
責任感や不安でがんじがらめになっていた私にとって、
大きな救いだった。
「逃げる」ではなく「一度休んでいい」という許可を
もらえたような、不思議な安心感だった。

「休職」という選択と、拭えない「甘え」への恐怖

会社にある「配偶者帯同休職」を利用することで、
職を失わずに済むという安心感がある一方で、
様々な葛藤が押し寄せていた。

もし向こうで子供を授かったら、
5年近く職場を離れることになるかもしれない。
それだけのブランクを抱えた私が、
またあの場所で戦力として働けるのだろうか。

そして何より私を苦しめたのは、
「駐在同行は、子供がいる家族がするもの」
という勝手な思い込みだった。
子供もいない私が仕事を休んでついていくのは、
ただの「甘え」なのではないか。
周囲にそう思われるのが怖くて、
自分を正当化する理由ばかりを探していた。

先輩の一言が教えてくれた「私の本音」

そんな私を救ってくれたのは、
尊敬する大好きな先輩の言葉でした。

「未来の悩みは、
その時が来たらその時の悩みも重なってくる。
先のことを考えるより、
今自分がどうしたいかを大切にした方が良い」

彼の駐在が延びるかも、
子供が授かれないかも、
別の道が見つかるかも…。
まだ見ぬ未来の不安でがんじがらめになっていたけれど、
結局、先のことなんて誰にも分からない。

ぐるぐる回る思考を削ぎ落として、
最後に残った私の答え。
それは、
「夫と一緒にいたい。海外生活を経験してみたい」
という、シンプルな願いでした。

検索はしない。比べることを手放した準備期間

同行を決めてからは、
あえて「駐在生活の過ごし方」を検索するのをやめた。

当時の私の仕事への苦しみは、
人と自分を比べてしまいがちな性格からきているのも
心のどこかではわかっていた。

だからこそ、SNSを通して見える充実した駐妻生活の例は
自分を追い込むのが目に見えていた。
「何をするかは、向こうに行ってから決めればいい」と、
自分に余白を許すことにした。

ビザの手配や引っ越し準備は、
ハードワークと並行していたため
目が回るほどの忙しさだった。

そして、夫が先に中国へ渡ってから半年後。
ボロボロになるまで駆け抜けた職場に一度別れを告げ、
私は日本を離れた。

Naru.

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