帯同先に適応すること。
多分、側から見たらスムーズに、その土地の生活に慣れていっていたと思う。
現に彼の同僚の方にも馴染んでるねと言われることが多かった。
だけど、本当はがむしゃらだった。
ここでの時間を濃いものとするために必死だった。
私が住む町は日本人があまりいない地域。
(夫の同僚がほとんど。)
頼りにできる人も少なく、
言葉が通じないという恐怖と共に生きていた。
ここでの生活を充実させたいと
がむしゃらに外に出る目的を探した。
以前習っていたバレエの体験レッスンにいってみたが、
大人バレエの文化が根付いていないのか、
基礎の基礎の基礎のレベルで
通うのは厳しいと諦めた。
ひとつの体験レッスンに行くのも
精神力と気力をガシガシと削られる。
言葉が通じないことのストレスと
新しい挑戦をするストレスが
一気に私を追い込んだ。
いろんなところに連絡をする。
自分は外国人で、あまり言語を話すことができない。と。
チャットで問い合わせても、
電話して欲しいと連絡が来たりもした。
非対面で話すなんて、もってのほか。
返信すらしてもらえないところがほとんどだった。
言語を学ぶのか、バレエを続けるのか、
現地文化に触れられる新しい習い事に挑戦するのか。
私にはたくさんの選択肢があったけど、
始めるためは、越えるべき障害が多すぎた。
三ヶ月かかってやっと出会えたのが、
今の古典舞踊教室。
週に1回、2時間。
先生も生徒の皆さんも優しい。
だけど、小心者の私は、毎回毎回緊張する。
先生が何を言っているのかわからない。
だけど、バレエで鍛えられた
振り付けの暗記力で
カバーしつつ、必死に食らいついている。
古典舞踊を「始めるだけ」で
目標を達成したんじゃないかと思うほど、
体力を使った私。
だから、
適応していることを当たり前とされる事が辛かった。
普通と捉えられるのも辛かった。
私の一番近くにいた夫。
異国の地で仕事をすると言うことは、
経験のない私では想像もつかないほどの
難しさやストレスがあるに違いない。
でも、私から見える彼は、
日本にいる時よりも多くの裁量権を持ち、
様々な経験をし、成し遂げ、前に進んでいた。
対する私は、
週1回、2時間のレッスンを見つけるだけで
三ヶ月もかかる。
私に芽生えたのは、嫉妬心。
自分で決めてここに来たはずなのに、
「彼に人生を狂わされた」
と言う身勝手な被害者意識だった。
Naru.
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