夫の駐在に同行して、
孤独な時間を送ることが
多くなったからこそなのか。
友達について考えることが増えたような気がする。
私の友人観について話してみようと思う。
3人グループという恐怖
私は、中高一貫校に通っていた。
一学年の人数が少なく、
常に人間関係で悩んでいた記憶がある。
クラス替えなく、逃げ場がなかった。
高校生の頃には、
仲良しグループは解体されたり合体されたりした後、
落ち着いたように思っていた。
私は当初、3人グループに所属していた。
学校って何故か、ペアを組ませたがる。
そうなるといつも私ははみ出した。
一人が怖かった私は
絶対的な友達が欲しかった。
でも、未熟だった私たちは、
いろんな事件を経て解体した。
そして、私は
複数人グループに属することを嫌うようになった。
誰かの一番の友人になりたかった
そんな高校時代を経験したから、
理解しあえる友人に出会えると信じて
大学の門をくぐった。
一学年に中高時代の10倍以上の人数が集まり、
4月は友人関係を広げようと
当たり障りもない、出身地とか共通の友達とか、
そこから広がる話を繰り返す。
正直辟易していた。
だけど焦っていた。
この波に乗らないと、また私は一人になっちゃう。
そんな焦りをよそに、
私にも心を許せる大切な友人ができた。
毎日のように顔を合わせて
何でも話して、一緒に悩んで
いろんなところに遊びに行った。
お互いが一番の理解者だったように思う。
そんな関係性こそが友人と信じて止まなかったし
そんな人がいてくれることが嬉しかった。
100%理解することなんてできない
社会人になって、いろんな人に出会った。
今振り返ると、
同じ大学、同じ学部、同じ部活動
そんなコミュニティに所属する人々の
価値観ってどこか似ているんだと思う。
みんな同じように勉強して、
似たような思いを持って入学をしているから。
だからこそ、
社会人になって、
いろんな価値観を持つ人たちに出会った私は、
驚きや高揚感、羨望や嫌悪感、
感情がジェットコースターだった。
全く理解できない人にも出会った。
人の裏表をまざまざと見せつけられることもあった。
圧力に耐えきれず、心を壊したこともあった。
そして、巷でよく耳にする
343の法則を突きつけられた。
私の価値観が再構築されている間に
仲の良かった友人も
新たな世界で新たな価値観にアップデートし、
「全部同じ」ではなくなっていった。
人はみんな孤独だ
承認欲求というのだろうか、
認めてほしい、私の全部を誰かに理解してほしい
私にはそんな欲求があった。
今もきっとあるのだと思う。
だけど、
自分ですら、自分の心に付いていけないこともあるのに
その移ろい全てを理解しろなんて
そんなものは傲慢なんじゃないだろうか。
その役回りを友人に押し付けるなんて
相手からしたら迷惑極まりない。
100%理解してもらえることなんてない。
だから、自分自身こそが
自分の一番の理解者でいる必要があるんだと思う。
私にとっての友達とは。
長々と話してきたが、
今の私が思う友人とは
自分が必要としたタイミングで現れる人
なのではないかと思っている。
すごく自分本位に聞こえるが、
言いたいのは、
その人との関係性を濃淡を含めて
受け入れ、大切にしたいということである。
中国での生活を始めて、新しい友人もできた。
同じ思いを持つコミュニティにも出会えた。
そして、長い時間連絡をとっていなかった友人とも
ふとしたきっかけで
深いコミュニケーションをとることになった。
私はすごく恵まれていて、
いつも違う誰かが手を差し伸べてくれていた。
30年も生きていると
親しくて足並みが揃っていた友人とも
それぞれの生活している環境によって
話が合わなくなることもある。
無邪気な発言で傷つくこともある。
前は理解してくれてたじゃんと。
でもそんなのは一方的な押し付けなのだ。
それぞれにそれぞれのタイミングがある。
関係性は常に100%じゃなくていい。
ときには50%、70%、25%かもしれない。
こんな風に考えていても
ふと、気を抜くと
その人との関係性の距離感を誤ることもある。
でも、そんなグラデーションがあることを
心の片隅に置いておけば、人間関係の煩わしさも
少しは笑って流せるのかもしれない。
Naru.
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