人は孤独だと思う。
たくさんの友人や素敵なパートナー、家族がいたって、孤独だ。
むしろ孤独でいるべきなのではないかと思う。
私が帯同休職を経て感じた孤独について、記してみる。
孤独は大きく二つに分類されると思う。
ひとつは
家族や友人と会うことができないという、物理的な孤独。
もうひとつは、
自分の気持ちを理解してもらえないという精神的な孤独。
私は先に生活を開始していた夫の住むまちに降り立った際、
この二つの孤独と戦うことになった。
私には、数は少ないが、自分が大切にしたいと思える友人や家族がいる。
帯同生活を開始してから、夫のまとまったお休みがあると、日本に帰国するのだが、
会いたいと顔が浮かぶのは彼らである。
そんな大好きな人たちから離れて始まった慣れない土地での生活。
外に出なければ、会話をするのは夫だけの日々が続く。
時間が経つにしたがって、彼らに会いたい気持ちが高まる。
私の夫は、穏やかで自分の大切な人に心から寄り添おうとする人。
結婚して身内になった今でも、尊敬して止まないほどの性格の持ち主。
そんな彼に、物理的な孤独も精神的な孤独も満たしてもらっていた。
彼が辛抱強く私の話に耳を傾けてくれていたおかげで、私は満たされていた。
「私のことを理解してくれている人がいる。一人でもいてくれるなら幸せなんだ」と。
私は読書が好きだ。
今までは時間に忙殺されて読めなかった本も、全く興味のなかった分野についても読むことが増えてきた。
だからこそ、様々なことを考えることが増えた。一種の哲学者のように一つの概念を掘り下げて掘り下げて、
自分なりの答えを探していく。そんな時間が自分にとって静かで刺激的な時間だった。
本が今の自分の一番の友達になった今、物理的な孤独は楽しめるようになった。
そして多分、一人時間も苦じゃなかった。そんな自分にも気付けた。
人間というのは欲深いもので。
自分の思考が深まれば深まるほどに、他者に自分の奥底までは理解してもらえないのではという気持ちになり、
精神的な孤独に苛まれるようになった。
自分の関心の全てが自分に向くようにもなったことで、自分の感情の変化に敏感になった。
ひとつひとつのほんの小さな出来事にも感情が動く。
ある日は、微笑ましく思えたことでも、別の日に同じ場面に遭遇したら、顔をしかめてしまう。
自分の感情がこんなにも繊細で簡単に移り変わるものだと改めて気付いた。
そして自分のことなのにコントロールが効かないことがあると、ひどく戸惑い、混乱した。
このコントロールができない自分に対して、間違っていないと言って欲しくて、
寄り添って欲しくて、仕事帰りの夫に1日の出来事とその時思ったことを詳らかに話した。
彼も優しいので、いつも今日はどんな1日だった?と聞いてくれる。
だけど、感情は1日に様々な変化をする。寄せてくる波は小さな時もあれば大きな時もある。
当時の私はその全てを理解して欲しかった。でもそれを自分自身の言葉で表現する力もなく、
彼もそんな細かい状況を想像するのも難しかったと思う。
そんな単純なことですら、想像の力を働かせることもできず、
この気持ちは私にしかわからないとの苛立ちが私をさらに追い詰めた。
その頃から、
少しずつ自分の感情を閉じ込めるようになった。
自分の感情と向き合って、
その感情を持った自分を受け入れる。
誰かに理解してもらおうと必死になるのではなく、
理解してほしいといった弱さを受け止める。
自分だけで乗り越えた先には、心の成長を実感できた。弱い自分ですら愛おしく思えた。
これが今の私の精神的な孤独の楽しみ方。
人間は一人では生きていけない。でも孤独は楽しめる。
Naru.
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