編んで編んで形にする

最近、私の心を惹きつけている、かぎ編み。

気づけばいつもそばにあった手芸

幼い時から、手芸が近くにあった。

母が裁縫が得意で、子供服や手提げカバン、クラシックバレエの練習着のスカートを作ってくれていた。また母方の祖母は、編み物教室を営んでいて、母が子供の頃には、生徒さんに編み方を教えたり、セーターの注文を受けたりしていたそう。祖母の家には離れの部屋があり、そこにはいろんな色と太さの糸が置いてあり、子供心にときめいていた。

そして私も手芸が好きだった。手先は器用だったと思う。

幼稚園生の頃には、手編みで細いマフラーを編んだり、

小学生の頃には、祖母や母に教わって編み棒を使ってマフラーを編んでいた。また、クラス全員で参加するドッチボール大会に向けて、みんなでお揃いのミサンガを作ろうということになった。

配色や編み目の大きさを整えるなど、小学生ながらにこだわりながら作っていた記憶がある。

また、私の小学校では5.6年生になるとクラブ活動をすることになる。私は手芸・調理クラブに所属していた。活動内容は文字通り、手芸と調理を隔週で行うグループ。

もちろん、食いしん坊だった私は料理する週も楽しみだったが、手芸の時間が特に大好きだった。

クラブ活動の手芸の時間は、自分の作りたいものを家から各自持ち寄って、黙々と作業する。

家から車で30分のところに、手芸屋さんの「Tokai」があり、そこに連れて行ってもらうことが好きだった。そこには、アクセサリーやくまやいぬのストラップを作ることができるビーズのキットがたくさんたくさん置いてあった。

私の家には、小さなビーズ織り機があり、母はクラブ活動用にと持たせてくれていた。

でも本当は、可愛いキットをTokaiで買って欲しかった。みんなと一緒が良かった。

でも、歳を取った今思えば、家にはくるみ割り人形のような編み道具やミニはた織り機、糸車があったり、すごく恵まれているというか、唯一無二の経験ができるような環境にいたんだと思う。

心の片隅で燻っていた手芸への愛

勉強とバレエが忙しかった中学・高校時代、部活動が忙しかった大学、がむしゃらに働き続けた社会人と一切手芸に触れることはなかった。でも、ふと趣味が欲しいと感じた際には、手芸がしたい、編み物がしたいと心のどこかで燻っているものがあった気がする。

帯同することが決まって、母の部屋にあった「モチーフつなぎ」をおもむろに取り出し、一緒に滞在先に持って行った。

でもなんだかんだ半年間、本棚から出すこともなかった。(夏がめちゃくちゃ暑かったのもある)

今年に入って、やっとエンジンがかかった。

祖母や母にアドバイスをもらいながら、編み目記号を見ながら練習していった。

気がつくと寝る間も惜しんで編み続けている日もあった。体にはよくないけど、自分をこんなにも夢中にするものがあったんだと嬉しく思えた。

今は、1日小さなモチーフを一つ作ることを目標としている。

編み物って、自分の心の状態がそのまま反映される。

均等に編めればいいものの、集中力がないと、通す穴を間違えてしまったり。欲張って細い糸で作り始めたから、小さな穴にかぎ針を通すこと自体に時間がかかってしまったり。同じ編み方をしているのに、せかせか焦って作成すると、普段より少し小さなモチーフが出来上がる。

でも一生懸命編んでいけば、小さくて可愛いモチーフに出会える。その瞬間が愛おしくて仕方ない。

今の目標は、モチーフつなぎのバックを作ること。不恰好でもできたらここで披露しようかな。

Naru.

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