いまのわたし

初めまして。

ここは「好き」を探索中の私の心の内を記す自由帳。

今、私は夫の海外駐在のため、帯同休職を取得中。上記のとおり、自分の「好き」をどこかに置いてきてしまい、孤独な生活の中に何かを見つけたいと奔走する日々。いろんな思いがシャボン玉のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。自分でも面白くなるほどの感情の変化を残しておきたい。そんな気持ちで記すことを始めてみました。

私の「好き」はどこへ?

私は5歳から高校3年生までクラシックバレエを習っており、踊ることが大好きだった。また、母親が惜しみなく絵本を買い与えてくれ、本の世界に入ることがすごく好きだった。そのおかげか、夏休みの読書感想文では何度か賞をもらったことも。何かを通して、好きを表現することは得意だったと思う。

  • 好きよりも社会で生きること

大学からは体育会系の部活動に入り、ルールに基づいて頑張り続けることが求められて、就職先も業種の特質から規則・規程にかなり厳しく、頑張っている人が評価される。いつの間にか自分の頭が自身の想いよりもルールに支配されるようになってしまっていた。

配属された部署は比較的忙しく、残業の日々。休日は平日の疲れを癒したら終わっていた。いつの間にか、休日は平日の疲れを取るための時間で、友達から誘われることすら苦しくなっていた。大好きな読書もできなかった。

周りが好きだと言うからちょっと気になる。流行っているから行ってみたいかも。誰かと話すときも、相手が楽しいかが気になる。相手の好きを聞き出して、次に会話が続くようにとその人の好きを体験し、感想を準備していた。

忙しさから効率を重視した生活を送っていたため、生きることが作業化していた気がする。でも辛いわけではない。プライベートで様々な場所へ旅をして、公私共に充実していると思っていた。

  • 社会からの断絶と空っぽの自分

そんな生活から、帯同を期に「好き」なことができる環境になった。

当初は、あんなに血眼になって働かなくていいんだ!やっと「好き」に生きれる!と思った。たくさん寝たし、見たかったドラマを一気見し、読みたかった本も全部読んでみた。やりたかったことを全部やっても時間が余った。

そしてある日、ふと気付いた。好きに生きるってとっても難しい。朝起きて、彼を見送って、その後、何をしたらいいか分からない。好きなことをやったらいいんだよと言われても、何が好きだったかも分からない。ぼーっとしていたら1日が終わって、何もしていない自分を嫌いになりかけた。異文化にまだまだ順応できず、外を出るのも勇気がいる。何も行動できない自分に絶望した。

ここ数年、ルールに沿って、相手重視で生きてきたから、自分で決めることができなかった。自分のやりたいように生きることが悪いことだと思ってしまっていた。自分のために生きているはずなのに、誰の人生を生きているんだろう。自分を喜ばすこともできないのか。人生ってちょっと長いかも。

  • 私の好きと表現

私は、体を使って好きなバレエを表現してきた。本からもらった自分だけの感覚を文章を通して表現して褒められて嬉しかった。私の好きは表現することとセットだった。最近は、動画配信等が主流だけど、おしゃべりがあまり得意ではない私の表現場所としてブログを選んでみた。拙い文章だけど、続けてみたら誰かに届くかもしれない。私の「好き」を探す中で、私の気持ちを記せていけたら。

Naru.

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